インド夜想曲/アントニオ・タブッキ
2004年 07月 20日
これは、不眠の本であるだけでなく、旅の本である。
不眠はこの本を書いた人間に属し、旅行は旅をした人間に属している。
こんな魅力的な序からはじまる中編小説。黄昏の雰囲気につつまれた静かな物語です。失踪した友人・シャヴィエルを探しにボンベイにやってきた男。小さな手がかりを追って、夢ともうつつともつかぬインドの夜の旅が始まります。
駅の時計が十二時を告げた。僕は眠気が襲ってくるのを感じていた。線路のうしろの公園からカラスの啼き声が聞こえてきた。「ヴァラナシというのはベナレスのことですね」と僕は言った。「聖都でしょう。あなたも巡礼に行かれるのですか」
僕の連れはたばこを消して、軽く咳をした。「私は死にに行くのです」と彼が言った。「あと何日も生きられないのです」そう言って、彼は頭の下の枕の位置をなおした。「もう寝ましょう。あまり眠る時間は残っていませんよ。私の汽車は五時発です」
「僕のはすこしあとです」僕は言った。
「ああ、心配ありません。ボーイが時間に起こしてくれますよ。こうしてお会いした姿では、もうお目にかかることはないでしょう。このスーツケースではね。よいご旅行を」
「あなたもよいご旅行を」僕はこたえた。
蒸し暑い夏の夕暮れにこの小説を手に取ると、まだ見ぬインドの喧騒に包み込まれるような気持ちがします。しかし、そのインドはどこにあるのでしょう。実際に行ってみてさえ、それは本物ではなく、私の心が映し出す影に過ぎないのかもしれない。
あるいは、旅とは元来そういうものなのかも知れません。
本作品は映画化もされており、物静かな主演のジャン=ユーグ・アングラード はこの作品の雰囲気にぴったりでした。ラストを除いては…(フランス映画ならこんなラストがお好みかもしれないけど)。
訳は須賀敦子。抑制がきいた、深みのある文章です。
須賀敦子訳
ISBN 4560070997
新書版 163p 白水Uブックス 1993年
by silverspoonsjp
| 2004-07-20 22:22
| センス・オブ・ワンダーの本