ヨーロッパ中世象徴史
2008年 11月 24日
私の場合、その本を読んで現在に生かせそうかどうかとか、歴史的人物の生き様が感動的かどうかとか、そういうことははっきり言ってどうでもよいのであります。
-ちなみに私の大嫌いな歴史の本とは、読むとお手軽に「◎◎の歴史」がわかってしまう「教養のための◎◎史」の本とか、「へえーーー!」と言わせるのだけが目的で、「それがどうした」なトリビア本であります-
つまり、それらとは別に、著者の目の付け所(こんなことを調べるのね?)とか、思わぬものを資料にして思わぬ史実を引き出すとか、集め並べた材料をまとめて、ひとひねりある結論に至るとか、そういうところに賭けてる訳なのですが、同じ趣味の方がいらっしゃれば、この本には花丸をいくつつけてもまだ足りない、という感じになるのではないかと思われます。
まあ、ずばり言って、事実の断片を拾い集め、あるいは思いがけないものを証拠として採用し、犯人を検挙し、またその動機を推察するという、シャーロック・ホームズものに通底する面白さがあるとでも言いますか(むむ)。
本書は、教養本なら如何にもやりそうな、
「ライオン」というお題を出して、そもそもライオンは中世に於いて…
みたいなつまんないアプローチは取りません。当然、ライオンについての考察はありますが、まずはいきなり、「動物裁判」の話から入るんです。
ヨーロッパの人々と動物の関係と言うとき、まず頭に浮かぶのは、キリスト教と動物との関係です。ふつう、日本でよくお目にかかる記述は、キリスト教では人間と動物が決定的に対立している、あるいは、人間こそが神の恩寵を受けた万物の長と思い上がっている、というものですが、それはどうやら単純にすぎる見方のようです。
中世の人々は動物の来世に思いを致したり、さらに現実的な問題として、安息日の日曜に動物を働かせてもよいか、とか、動物に責任能力はあるのか、ということを考えたりしたようです。
中世には、動物を被告にした裁判が開かれたということです。そして、刑罰を加えられた動物もありました。このことは何を意味するのか。著者は訴訟の数や、公式に残された裁判記録の数などを勘案して考えます。訴訟はたくさんあった。一方で、証言は少ない。それは何を意味するのかー。
ここで著者の導き出した結論は仮説であり、しかも実証は困難です。しかし、ここで大切なことは、こうした裁判が彼らの社会に存在したこと、今日の目から見れば好奇の対象でしかないけれども、当時の人々は、これを今日とは違う感受性でとらえていたはずである、と想像することなのでしょう。
象徴は外側に見え、現在でも遺されたものから知覚できますが、その裏にある考え方を知ることは、現代人にとって非常にむずかしいという例が、本書では多く示されています。たとえば、「青」は現代人にとっては寒色ですが、中世では暖色とされていました。青は空気の色であり、暖かくて乾いているから、という理由だそうで、著者は
「美術史家が中世において青は現代と同じように寒色だと考えたら、何から何まで間違えてしまうだろう」と述べています。
あるいは、「斧」と「ノコギリ」は同じ工具でありながら、中世の人にとって、ノコギリは悪のイメージがあるーそれを納得させるため、中世の人と「木」との関係から説き起こされているのですがーなど、気づきようもない知見が存在しています。そして、中世の象徴を理解することの困難とその意義は、著者のこの言葉に凝縮されているでしょうー。
「象徴はそれが表象する現実の人物や事物よりもつねにより強力で、より真実である。中世においては、真実はいつも現実の外に、現実の上位に位置しているからだ。真なるものは現実に存するものではないのである。」
時代の違いに加え、キリスト教的解釈の展開に伴う価値観の転換や、言葉の問題、地域文化の違いなど、他にも考慮しなければならない要素はさまざまにあります。しかし、困難にもめげず、象徴が使われた当時の価値観に沿った解釈を試みる著者の果敢さと洞察力に敬服すると共に、門外漢の一読者としては、極上のミステリーを読むのと同じ楽しみを味わう訳なのです。
ミシェル・パストゥロー 著
篠田勝英 訳
〈目次抜粋〉
動物
動物裁判/獅子の戴冠/猪狩り
植物
木の力/王の花
色彩
中世の色彩を見る/白黒の世界の誕生/中世の染物師/赤毛の男
標章(エンブレム)
楯型紋章の誕生/楯型紋章から旗へ
遊戯
西欧へのチェスの到来/アーサー王に扮する
反響
ラ・フォンテーヌの動物誌/メランコリーの黒い太陽/アイヴァンホーの中世
白水社
436ページ 6600円
ISBN-10: 4560026386
2008年