図書館の興亡
2009年 02月 10日
マシュー・バトルズ著「図書館の興亡-古代アレクサンドリアから現代まで」(草思社)という本を、それこそ図書館から借りて読んでました。
大変申し上げにくいのですが、この本は、私には、典型的な「参考書を右から左に写して書いた本」に見えるため、あまり積極的にオススメは致しません。特に古代の部分は、著者もよく理解しないで書いてるんじゃないかと思われるフシがあり、どこまで本気にしてよいのか迷います(リテラシーを試されてるのでしょうか?)。
訳もー異国情緒を醸し出すためと思いたいですが-中国古代の書記用具で「黒インク」はないでしょう…それを日本語では「墨」っていうのでは…?(古代中国では黒インクを使っていたのなら、失礼しました…)石碑の森は、「碑林」のことなのでは…いえ、良いんですけど、別に。
文句があるなら読まなきゃいいでしょ、何で読んだの、と問われれば、それはcrannさんのブログを拝見して「ゲニーザ」って何だろ?と思ったからです(crannさん、いつも面白い話題をありがとうございます)。
けなしておいて何ですが、B級映画も見方次第なのと同様、どんな本でも見どころはあります。「考察」って言葉をゲニーザに埋めてきちゃったらしい本ではありますが、図書館の来し方についてまがりなりにも1冊にまとまっていると、読み手の方では、行く末について考えてみることも出来るというものです。
著者はハーバード大のワイドナー記念図書館で司書をつとめた人だそうで、よって、司書の役割について書かれた箇所と、アメリカの図書館について書かれた箇所は、なるほどね、と思わせてくれます。
以前、アメリカの子ども向けの本で、開拓地に本を載せてやってくる幌馬車図書館(現在の移動図書館のご先祖みたいなものでしょうか)の事を知りました。この本では、それらが一定の期間、まとまってある農家などに貸し出される「ホーム・ライブラリー」の紹介があります。
20世紀の初頭、アメリカ開拓農家の仕事はあまりにも厳しく、本を読むゆとりは親にも子にもそれほどなかったと思われます。前述の本でも、移動図書館の本を読む事に、親はあまり乗り気ではありませんでした。それを思うと、本書の写真にある、祭壇のように恭しく本のセットが置かれた光景には、そんな暮らしでも本を読みたいと思う人たちもいたんだと、畏敬の念まで覚えてしまいます。
性質は違いますが、二十世紀初頭、図書館に出入りするのを禁じられていた黒人が、そんな中でも知恵を絞って本を借り出した話なんていうのも出ていて、本があふれているのに全然読まない人も多い身の回りの状況と考え合わせると、皮肉というか何というか、考えさせられる話です。
そういえば、ローラ・インガルスの本に、クリスマスプレゼントにテニスンの詩集を贈られる話が出てきましたね(ローラは、クリスマス前に引き出しの中に隠してあったのを見つけてしまい、あまりに続きを待ちこがれたため、実際に読んだ時、がっかりしたらしいです。とても良くわかる気がする…ので印象に残ってます(苦笑)
さて、肝心の「ゲニーザ」(「ゲニザ」の方が検索ではヒットしやすい)については、「書物の墓場『ゲニーザ』」という節で6ページくらい紹介があります。「ゲニーザ」はユダヤ教のシナゴークの一角にある、使い終わった、文字の書かれた紙を集めておく場所を指すそうです。
ユダヤ教やイスラム教では書かれたものを神聖視する伝統があり、それらが冒涜されないように保存しておくと、中身が魂のように昇天する、ということなのだそうです。ですから、系統だって本を集めた訳でもなく、外に向かって開かれることもありませんでした。
したがってゲニーザに保存されたものはは焚書のような受難に遭うこともなく、後世にとって有用か否かの振り分けをされることもなく、千年にわたってただ延々と蓄積されてきたのです。
アレキサンドリアの図書館以来、図書館に集められた本はほぼ例外なく消失の運命をたどっているというのに、墓場にある本は後世に伝わるとは…。図書館の歴史にこの項目を入れた著者のセンスは「買い」とすべき、なんでしょうね。
目次抜粋
アレクサンドリア炎上
焚書坑儒と石碑の森
消えたアステカの絵文書
「クーマの巫女(シビッラ)」の予言書
知恵の館
バヌ・ムーサ三兄弟と知恵の館
図書館のルネッサンス
書物合戦
スウィフト
みんなに本を
新時代の司書の資質
知的遺産の消失
「本を焼くところでは、やがて人を焼く」
ルーヴェン図書館の悲運
ナチス・ドイツの図書館改革
抑圧の道具としての図書館
書架のあいだをさ迷いつつ
書物の墓場「ゲニーザ」
ホーム・ライブラリー
人民宮殿
「アーケード・プロジェクト」
ミューズの鳥かごは今
大変申し上げにくいのですが、この本は、私には、典型的な「参考書を右から左に写して書いた本」に見えるため、あまり積極的にオススメは致しません。特に古代の部分は、著者もよく理解しないで書いてるんじゃないかと思われるフシがあり、どこまで本気にしてよいのか迷います(リテラシーを試されてるのでしょうか?)。
訳もー異国情緒を醸し出すためと思いたいですが-中国古代の書記用具で「黒インク」はないでしょう…それを日本語では「墨」っていうのでは…?(古代中国では黒インクを使っていたのなら、失礼しました…)石碑の森は、「碑林」のことなのでは…いえ、良いんですけど、別に。
文句があるなら読まなきゃいいでしょ、何で読んだの、と問われれば、それはcrannさんのブログを拝見して「ゲニーザ」って何だろ?と思ったからです(crannさん、いつも面白い話題をありがとうございます)。
けなしておいて何ですが、B級映画も見方次第なのと同様、どんな本でも見どころはあります。「考察」って言葉をゲニーザに埋めてきちゃったらしい本ではありますが、図書館の来し方についてまがりなりにも1冊にまとまっていると、読み手の方では、行く末について考えてみることも出来るというものです。
著者はハーバード大のワイドナー記念図書館で司書をつとめた人だそうで、よって、司書の役割について書かれた箇所と、アメリカの図書館について書かれた箇所は、なるほどね、と思わせてくれます。
以前、アメリカの子ども向けの本で、開拓地に本を載せてやってくる幌馬車図書館(現在の移動図書館のご先祖みたいなものでしょうか)の事を知りました。この本では、それらが一定の期間、まとまってある農家などに貸し出される「ホーム・ライブラリー」の紹介があります。
20世紀の初頭、アメリカ開拓農家の仕事はあまりにも厳しく、本を読むゆとりは親にも子にもそれほどなかったと思われます。前述の本でも、移動図書館の本を読む事に、親はあまり乗り気ではありませんでした。それを思うと、本書の写真にある、祭壇のように恭しく本のセットが置かれた光景には、そんな暮らしでも本を読みたいと思う人たちもいたんだと、畏敬の念まで覚えてしまいます。
性質は違いますが、二十世紀初頭、図書館に出入りするのを禁じられていた黒人が、そんな中でも知恵を絞って本を借り出した話なんていうのも出ていて、本があふれているのに全然読まない人も多い身の回りの状況と考え合わせると、皮肉というか何というか、考えさせられる話です。
そういえば、ローラ・インガルスの本に、クリスマスプレゼントにテニスンの詩集を贈られる話が出てきましたね(ローラは、クリスマス前に引き出しの中に隠してあったのを見つけてしまい、あまりに続きを待ちこがれたため、実際に読んだ時、がっかりしたらしいです。とても良くわかる気がする…ので印象に残ってます(苦笑)
さて、肝心の「ゲニーザ」(「ゲニザ」の方が検索ではヒットしやすい)については、「書物の墓場『ゲニーザ』」という節で6ページくらい紹介があります。「ゲニーザ」はユダヤ教のシナゴークの一角にある、使い終わった、文字の書かれた紙を集めておく場所を指すそうです。
ユダヤ教やイスラム教では書かれたものを神聖視する伝統があり、それらが冒涜されないように保存しておくと、中身が魂のように昇天する、ということなのだそうです。ですから、系統だって本を集めた訳でもなく、外に向かって開かれることもありませんでした。
したがってゲニーザに保存されたものはは焚書のような受難に遭うこともなく、後世にとって有用か否かの振り分けをされることもなく、千年にわたってただ延々と蓄積されてきたのです。
アレキサンドリアの図書館以来、図書館に集められた本はほぼ例外なく消失の運命をたどっているというのに、墓場にある本は後世に伝わるとは…。図書館の歴史にこの項目を入れた著者のセンスは「買い」とすべき、なんでしょうね。
目次抜粋
アレクサンドリア炎上
焚書坑儒と石碑の森
消えたアステカの絵文書
「クーマの巫女(シビッラ)」の予言書
知恵の館
バヌ・ムーサ三兄弟と知恵の館
図書館のルネッサンス
書物合戦
スウィフト
みんなに本を
新時代の司書の資質
知的遺産の消失
「本を焼くところでは、やがて人を焼く」
ルーヴェン図書館の悲運
ナチス・ドイツの図書館改革
抑圧の道具としての図書館
書架のあいだをさ迷いつつ
書物の墓場「ゲニーザ」
ホーム・ライブラリー
人民宮殿
「アーケード・プロジェクト」
ミューズの鳥かごは今
by silverspoonsjp
| 2009-02-10 01:52
| 本にまつわるエトセトラ